25年来の持病に向き合う

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IloによるPixabayからの画像

不妊治療を進める前に、私にはどうにかしたい持病があった。

高校時代に謳歌したライブハウス通いで身につけた悪癖に加え、
1日18時間くらい取り組んだ、座位での大学受験の勉強で培った、
痔の症状だ。

無事、希望する大学に受かった喜びも束の間、お尻の違和感に気づいた18の春。
恐る恐る触ってみると、いぼ痔になっていた。
幼い頃から、母が痔で苦しんでいるのを見ていたので、症状が出たことを母に相談し、
まずは市販薬の坐薬で治療していた。
坐薬を入れる恥ずかしさを通り越すと、爽快感さえ感じるようになり、
いつの間にか痔との共存生活に慣れていった。

そんな中、大学で仲良くなったサークル仲間から、突然倒れて救急車で運ばれた話に
衝撃を受けたことがある。
詳細は覚えていないが、それまで特に持病などなかったのに、急に具合が悪くなって倒れ、
気づいたら病院のベッドだったそうだ。
看護師に病状を聞くと、痔で運ばれた、と告げられ、驚いたとのこと。
自覚症状は全くなかったのに、倒れるほど悪化していたのは、確かそれが「痔ろう」だったから、という記憶だ。
そのまま手術して入院したとか言ってたような気がするが、とにかく痔でそんなことが起こるのか!と戦々恐々とした覚えがある。

とはいえ、飲酒も喫煙も常習化していた20代。
いつしか市販薬だけでは効かなくなることもあり、肛門科を訪れるようになっていた。
当時は手術をするなら、半月以上の入院が必要と言われ、仕事を始めていたこともあり、そんな長期間は休めない(理由を言いづらい)と逡巡していた。

30代半ばになり、ようやく禁煙に成功し、健康に気を遣う生活を始めたものの、定期的な肛門科通いは欠かせず、これは不治の病として一生付き合っていくしかないのかなと諦めていた。

そして40代。これで最後!という婚活を始め、無事に今の夫と結婚し、あまりお酒を飲まない夫に合わせて、すっかり飲酒も控えるようになった。
しかしながら長年の悪癖が祟り、とうとうイボが引っ込まなくなることが多くなり、泣く泣く新居の近くの肛門科の門を叩いた(夫には言えずにこっそりと)。

なんだかんだと病歴20年以上、訪れた肛門科の数も片手以上あると思う。
人気のあるところは3時間待ち、なんていうのはザラで、近所の肛門科もかなりの盛況ぶりだった。
特に期待せず、出ているイボが引っ込めばいい位の気持ちだったのだが、なんと日帰り可能な手術ができると診断された。

これまで何度か半月以上の入院をしないと、手術は不可能と診断されてきたのに、あっさりと日帰りで大丈夫ですよ、と言われた時の嬉しさは生涯でも指折りの出来事だった。
ではぜひお願いします!と感涙ものでスケジュールや流れを聞いて、浮かれ足で帰宅して現実に戻る。

夫に何て言おう? 結構なんでも話せるようにはなっていたが、流石に痔のことは打ち明けていなかった。
しかし、手術後は家族に迎えに来てもらうよう、病院から言われており、何より日帰り手術とはいえ、1週間ほど仕事を休んで自宅療養をする必要がある。
素直に病状を話して手術することを言うしかない・・・恥ずかしい気持ちを抑えつつ、なんとか打ち明けると、真正面から受け止め、心配してくれた! 本当にこの人と結婚して良かったなと思った瞬間である。

そして会社には婦人科の病気で、と有休を申請し、手術に向けて着々と準備を進めていった。
手術やかかった費用、術後などに関しては、次のブログでお伝えします。

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